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わずか4時間で映画化が決まった 脚本家デビュー作

 本作が脚本家デビュー作となるアリアーネ・シュレーダーは、ミュンヘン映画大学の学生だった頃、大学で開催されたクリスティアン・チューベルト監督のセミナーに参加した。チューベルトは生徒たちに、「映画のテーマやアイディアが浮かんだら、とにかくすぐに脚本に書き上げなさい」と教えた。
 ある夜、シュレーダーの頭に、固い友情で結ばれたグループが、最期の旅行に出るという場面が浮かぶ。「別れの物語を書きたいと思っていたの。愛する人の死期が近づいていると知った時、物の見方がどのように変わるかをね」とシュレーダーは説明する。  シュレーダーはチューベルトに教えられたとおり、浮かんだイメージから物語を書き始めた。最初は古典的な自動車旅行を考えていたが、やがて自転車旅行を思いつく。そのなかの一人が、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患ったことから安楽死を選ぶのだ。自分の死に立ち会ってほしいと願うことは、友情を裏切ることなのか? 友人たちはその頼みに対してどう行動するのだろうか? 愛する人の死が間近に迫ってくるというのは、自分の人生をどう変えるのか? こうした問いが、シュレーダーの頭から離れなくなった。もちろん、実際に安楽死を選んだ人々に関する取材もした。
 そうして書き上げた初稿を、シュレーダーは教授のフロリアン・ガレンベルガーに送った。監督で脚本家でもあるガレンベルガーから、4時間という「記録的な速さ」で返事が来た。「ぜひ映画化しよう」と。ガレンベルガーはその時のことを、「重いテーマを取り上げながらも、それ自体を重く描かない作品を作りたいと考えていて、シュレーダーの脚本はまさにぴったりだった。死について書いていたが、実は生きることについて描いていたんだ。そこが気に入った」と説明する。
 長編映画を初めてプロデュースすることに決めたガレンベルガーは、チューベルトに監督を依頼しようと脚本を送ると、彼もすぐに興味を示した。「40歳を目前にしていた僕は以前よりずっと、生と死に関して考えるようになっていた。ドイツのことわざに『人は皆、独りで死ぬ』というのがあるけれど、それは違うと思いたかった。友人や愛する人たちとの繋がりを感じながら、この世を去ることができると思いたかったんだ。それが、僕がこの映画に携わったきっかけだ。ただ純粋に登場人物やストーリーが面白かったことも大きいけれどね」とチューベルトは振り返る。

葛藤を抱えながらも 「この役に出会えてよかった」と語る主演俳優

 主人公のハンネスを演じたフロリアン・ダーヴィト・フィッツは、最初に脚本を読んだ時、「打ちのめされた。そんなことは、そう頻繁にあることではない」と振り返る。「とにかく強烈なテーマで、うまく演じられるかどうか不安だった。下手をしたら、きれいごとばかりの映画になってしまうからね。心を開き、素直な気持ちでこの役柄に飛び込むのは、本当に難しかった。死に直面して恐怖に震えているんだからね。」
 そこでフィッツは、ベルリンのシャリテー病院を訪ね、ALSの権威としてドイツで最も有名な医師から話を聞き、膨大な資料を受け取った。リサーチのおかげで、患者が病気による体の痛みだけでなく、心の苦しみも抱えていることが想像できるようになった。しかし、患者と直接話すことは避けた。「彼らは多くの悩みを抱えているから、役者に気持ちを説明する余裕はないかもしれないと考えたんだ。それに、この病気にかかってどうかと尋ねるなんて、僕にはできなかった。」
 フィッツは安楽死に関して、「難しいテーマだ。僕自身、葛藤があった」と打ち明ける。「死を決められるのは、神だけだという考えも尊重するし、安楽死を選んだ人には、どうして死以外の道を選ばなかったのかとも思う。子供にも適用されると聞けば、本能的に『ダメだ!』と言いそうになる。しかし、不治の病にかかった子供たちがどんなに苦しんでいるか、実際の例を知ってしまうと考えが変わる。法律はこうした実例をもとに改正されたわけだからね。」
 それでもフィッツは、「この難しい役と出会えて幸運だった」と微笑む。映画が公開されてから、ALSの患者を家族に持つ人々からも大きな反響が届いているのだ。たとえば、弟をALSで失った女性ジャーナリストから、「亡き弟のために、こういう映画を望んでいた」と書かれた手紙が届いた。

撮影中に本当の絆を結んだ 6人の俳優たち

 撮影は、ドイツ西部のヴィーズバーデンという町と、ベルギーのオーステンデで行われた。
 自転車で走るシーンは、800mほどのコースが設けられ、撮影機材やモニターを積んだ人力車を俳優たちに並走させながら撮影された。コースの終わりまで走ったら荷物をまとめて戻り、また最初から走って何度も撮るのだ。「閉鎖空間に俳優を入れて撮る映画より、ずっと手間がかかった」とチューベルトは語る。
 シリアスなテーマでありながら、撮影は「楽しかった」とチューベルトは笑う。「普通の映画だと主役は一人か二人だけれど、今回は6人だ。大変だったけれど、賑やかだった。シリアスで悲しい話だと現場の空気も重くなりがちだが、愉快なシーンも入っているからね。おかしいシーンになると、現場の空気も和らいだ。」
 皆が最も楽しんだのは、泥の中で戯れるシーンだった。最初は俳優たち全員が嫌がっていた。その日は寒くて、俳優たちは皆、衣裳の下にウェットスーツを着ていた。そこまで準備しているにもかかわらず、彼らは泥に入るシーンをなくすために監督を説得しようと必死だった。しかし、チューベルトは頑として引かず、撮影はスタートした。すると、一度泥に入ってからは、何だか楽しくなったらしく、もっともっと撮って欲しいとリクエストするぐらいだった。その日は一番笑った撮影日となった。
 ハンネスとキキの夫婦を演じた二人は、本作の撮影前から友達だったが、仲間を演じた6人の俳優たちのほとんどは、過去に共演したことがなかった上に、知り合いでもなかった。「撮影の2日前に初めて会った彼らが、劇中のように仲の良いグループになれるのか心配だった」とプロデューサーのベンヤミン・ヘルマンは語る。観客に彼らは古くからの親友同士だと信じてもらうことは重要だった。しかし、彼らは自主的に撮影後に集まるようになり、それぞれの家でディナーを共にし、一緒に過ごす時間を心から楽しむようになった。
 そして撮影最終日に、ベルギーでラストシーンの撮影を迎えた。実際に安楽死に関わっている医師が呼ばれ、安楽死の流れについて正確な説明を受けた。彼らは涙に暮れ、その感情は本物だった。ヘルマンは胸を張って、こう語る。「見ていて息を飲むほどだった。だからこそ、この作品は観客に強い影響を与えたんだ。」