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愛する人たちと作っていく人生──それこそが“グッドライフ”

会田薫子 (東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター上廣講座特任准教授)

 私たちの人生には、いつか必ず終わりが訪れます。誰もそれを逃れることはできません。だからこそ最期を見据えて“より良く生きる”ためにどうしたらいいか、これを主題とするあらゆる研究が死生学です。歴史や文学、宗教、美術などを含む様々な分野から取り組まれていますが、私の専門は医療社会学と臨床倫理学をバックグラウンドとして、医療や介護の現場において人は共にどう生き、どう生き終わるべきかを考える臨床死生学です。  この映画のテーマも、まさに死生学に通じるものでした。主人公のハンネスは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を告知されたことから、自分にとって“より良い人生”=“グッドライフ”とは何かを模索します。旅が始まってまもなく、ハンネスは仲間たちに、積極的安楽死を選んだことを告白することになります。積極的安楽死はハンネスが向かうベルギーの他にも、オランダ、ルクセンブルクにおいて法律で認められ、スイスとオレゴンなどアメリカの一部の州では、医師による自殺幇助が認められています。
 日本では違法であり、様々な理由により、これからも積極的安楽死や医師による自殺幇助が容認される可能性はゼロに近いと思います。ただ近年、日本でもより良い人生の終わり方について深く考えようとする動きが出てきました。生が終わるまで最善の生を生きることを支援するエンドオブライフケアなどがその例で、医学的に適切な診断とそれに基づく情報提供が為されて、本人が家族や医療者とよく相談しながら、無理な延命医療は受けないなど残りの人生のあり方を本人の人生の物語りの集大成として考えるアプローチです。
 映画では直接的には描かれていませんが、ハンネスもホームドクターや家族と何度も話し合いを重ねたであろうことが伝わってきます。しかし友人たちは初めて聞かされたにもかかわらず、旅を中断しません。そんな深い信頼関係と厚い友情が描かれる一方で、厳しく鋭い問いも放たれます。パートナーのキキに苦しみを「私なら分かち合う」とハンネスは訴えられます。すぐには答えの出ない難しい問題ですが、彼のような難病でなくとも、病や老いは誰にでも起こり得ることです。自分の家族や友人が痛みを抱えた時、完全には分かち合えなくても、同じ方向を向いて考えようとする姿勢を持ちたいですね。
 映画を観終わった後に、研究室にある砂時計を見ていて、ふと気づきました。ハンネスの人生の残り時間は、あっという間にサラサラと落ちていく砂時計の砂のようなものだったのでしょう。でも、その残り僅かな砂を一緒に見て、切なさや悲しさを共有してくれる家族と友だちがいた。自分が本当に大切だと思う人たちと、互いに気遣いながらも本気の付き合いができた。ここまで自分のことを思ってくれる人たちと旅をすることによって、ハンネスは自分の人生はこれでいいのだと最後に自己肯定することができました。自分の人生がいやになったのではなく、愛情と友情をいっぱい感じて、幸せだと思いながら積極的安楽死を選んでいったのだと思います。愛する人たちとの温かい関係の中で作っていく人生、それこそが“グッドライフ”なんですね。
 積極的安楽死というのは、法律上の要請でもあるのですが、自発性が担保されていなければなりません。家族や周囲の人たちからのプレッシャーや影響を受けず、本人の意志であることを確認することが必須条件の一つです。映画でもドクターが二人きりで話したいというシーンで、そのことが描かれています。しかし、そこまでの皆の葛藤を描くことで、ハンネスの自己決定は彼一人で決めたのではない、皆との関係の中で支えられた決定であるということが、逆説的に表現されていたのもよかったです。
 日本語タイトルの『君がくれたグッドライフ』の“君”は、キキ、親友たち、母親、弟それぞれであり、皆がハンネスにくれた“グッドライフ”なんですね。と同時に、ハンネスが皆にくれた“グッドライフ”でもある。彼らの相互関係を通して、「私たちは家族や友だちと一緒に生きている。大事な人との繋がりのなかに自分の人生がある」ということが、本当に良く描かれていました。たとえ死を前にしても、「私たちは決して一人ではない」という強いメッセージが伝わってきて、非常に感動しました。多くの人に観ていただき、自分たちにとっての“グッドライフ”とは何かを、大切な人と話し合ってほしいですね。(談)